Harukiya Archives

2008/10/11

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2005/05/11

category / HTML

いちおう、以前のエントリの続きです。

読みかえしてみるとテーマ(の一部)が文章の伝達だというのに、これでうまく伝わっているのか不安になる。肝心な説明がはしょられてたり、誰もがわかりきったことをくどくど書いてるような気もするし。ま、ここのBlogの説明って”思ったことを書きたいのだが、あまり物思いをしないので困難をきわめる。”だから。(表示してないけどさ)

たとえ考える方向が当ってたとしても、文章や作文のまともな教育を受けそこなって(授業中寝ていたりとか、入試の後「あなたは来なくていいです」って宣告をされたり)我流で書いてるからね。今日は呑みながら 語るように書くです。


コンピュータはデータの中身(文章とか画像・音声etc)は理解しない。それが国家機密文章でも、酔っぱらいのタワゴトでも値の集まりとして同列にあつかう。あるデータが文章だったとしても、内容の芸術性とか正誤であるとか、もっと根本的な文法(主語、述語、顔文字)なども重要度の比重は同じになる。改行コードも例外ではない。唯一のルールは始まりと終わり(正確にはアドレスとデータ長)が確定していることと、アドレスが一意であることだけ。

この一緒くたにされた文章ってのは、前回の江戸時代の記述法に似ている。スペース効率のために隙間なく並べられた文字がデータで、紙面が長さとか範囲にあたる(というか、コンピュータの方がマネしたのかもしれない)紙が貴重だったのと同じように、昔はメモリ(データの記録領域。HDやFDを含む)がとても貴重だった。その少ないメモリでデータの内容(構造といいかえてもいい。文章だったらその意味であるとか画像だったら色データであるとか)を記録するか(つまりは伝達のため。伝達の相手が未来の自分という場合もある)に知恵をしぼってきた。

やがてメモリも潤沢になった。ココまでの間に色々あったのだろうが、はしょる。半導体メモリだけでひと昔前のHDを超えるようになった。いつの時代の人だ、僕は(って昔も書いたような気もする。年取ると以下略)。このあたりは、製紙が進んで原稿用紙(または単に紙)が豊富になったのとちょっと似てる。

この変化で、大きなデータの扱いが楽になってきたということ。デジタル文章においても、それまでは”一を聞いて十を知れ”みたいな”いや、みなまで言うな、おぬしもワルよのう”(全然違うような)みたいな「こんなんで意味を100%伝達できていたのだろうか?」って一抹の不安を改善する余裕がでてきた。

それまで、要点だけを絞って(箇条書きのように)書かれていたドキュメントにも、読みやすくするための文法や補足を加えたりして構造化できるようになった。多くの言葉を尽くして説明するのも”伝達の一手段”だけど、ダラダラした文章は読みにくいし、ポイントがぼやけるという目的と正反対のことも起こりうる(この文章が顕著な例だ。そうかわざとか)

世の中にはアタマのいい人(イギリスの人だったような。再三の調査不足)がいたもので「ドキュメントのキーワードやパートに意味の要素を与えたら、誰にでも伝わりやすいしコンパクトにできるぞ」と考えた。原稿用紙が一文字の範囲を規格化したように、構造に意味づける要素の規格を作った。

意味づけしたい語句や文を要素名で囲んで、要素の名前の文字とオリジナル(元の語句や文)をコンピュータソフトが見分けられるように要素名をタグで囲んだ。HTMLの誕生である。

いつになったら字下げがでてくるのか不安になりながらも、つづく(かも)


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