2005/07/05
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diary
遠い親戚の方が亡くなり、ここ一週間でいろいろ経験したり考えたりしたことなど。
- もう何年も会ってない地方の親戚で、「あぶない」と連絡があってからお葬式が終るまで一週間。仕事が休めないので、夜間350kの道のりを3回も往復した。その慌しさのせいとあまりのあっけなさのため、まだ実感がわかない。
- 89歳の大往生なのでお葬式は終始なごやかというか、思い出話で盛り上がっていた。その中である小父さんが言った言葉。「人間は、もういいと満足したら死んでしまうんだ。諦めなければ100だって120だって生きる」それはムリだろうと思ったが、気力で持ち直すみたいな話もあるし、一理はあるのかも。
- 昔何かで読んだ、お葬式というのは忙しくすることで悲しみを薄める作用があるみたいなこと。なるほど、これは生きている人のためのものだ。
- 例えば、ずーっと会ってなかった人がいて風の便りで訃報を聞いた時、悲しいと思うのは不思議な感覚。会わないのは寂しくないが、もう、会えないのは寂しい。死という事実を知らされなければ「いつか、また」と心の片隅で思っている。希望ってのは意外なところにあるのだ。
- この悲しさとか寂しさの元は、ただ会えないということだけでなくて、もう彼(彼女)が話しかけてくることはない、手を差し伸べてはくれないということ。人の生のアイデンティティというのは、干渉したり何か新しいものを生み出すことなのだろう。良い思い出が多いほどその人から自分に与えられたものが多く、また喪失感も大きいのだと思う。
- 生きることは生産すること、更新すること。たぶん内容とは無関係。
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