2008/10/16
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2006/05/09
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diary
デスノートの結末(?)が気になる。
今週の回に対する噂にしても、竜崎生存説がネットにたびたび浮上するのも、このマンガのすぐれた一面を推理シーンや頭脳戦に求めている読者が多いからだろう。作中の人物の罠の掛けあいにエキサイトするほど、作家だって読者に対して何か仕掛けてくる(はずだ)と思い込んでしまう。大逆転があると見せかけ、このまま終るという手も(逆)戦略としてはありうる。どうなるのだろうか。
- また別の面の魅力にキャラの設定や絵の上手さがある(特に、ここ数話のライトの表情といったら)。ストーリーが面白く絵もきれい、という作品はなかなかない。どちらも好みが左右するのだろうが。
- コンピュータゲームも昔に比べると、格段にグラフィックがきれいで緻密になった。ゲームキャラのファンサイトもたくさん目にする。だが、ゲーム性や構成(仕掛け)が「これは新しい!」というものはあるのだろうか。(最近のゲーム知らないので、オススメがあったら教えてください)
- その昔、ファミコンに「ポートピア連続殺人事件」というADVのハシリがあった(今じゃ携帯アプリ)だ。ドット絵だったし、ストーリーも短かった。が、これがめさ面白く熱中したのを覚えている。時間は前後するが、RogueというRPGのハシリのパソコンゲームにもはまった。こちらは、絵すらなく文字の”@”が主人公で敵”D”を避けひたすら迷路を進むだけ(なのに何故か麻薬性がある)。
- それより以前のゲームといえば、将棋やチェスやトランプだ。これはキャラというよりは文字通り”駒”で、それらを操り戦略を考える(神の視点になる)ことが遊びの本旨である。ゲームのルールや構成そのものが面白さにつながっていて、これはこれでなかなか廃れない。
- 駒(キャラクタ)や盤(世界観)のディティールを作りこむことで、外界にあった視点をストーリーの中またはキャラに移入しやすくさせるというのがひとつの流れなのだろう。この差、世界の支配者(あるいは傍観者)として楽しむか、世界の住人として楽しむかというのは容量に直結するものだ。短編ならワンアイディアが、長編だったらディティールやリアル性の勝負になる。
- デスノというマンガは容量をゲーム性と構成(内外共)に使った数少ない作品だと思った。
writeback
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次回で終わっちゃうのかなぁ。。
Lを描いた小説が出るんですってね。西尾維新さんってご存知ですか?
検索したらメフィスト賞とか書いてあったからsugの得意な分野だなと思ったよ。
あ☆sugもゲーム嫌いじゃないんだね。-10日15時
とりあえず二部終了ということで、 タイトルが DEATH NOTE なのだから、ノートある限り話は続くと思いたいです。-10日20時
-10日20時