また、読み週間に入ってるわけです。Tips系のサイトを読むと改造記事を書きたくなり、ネタ日記を見ればマネたくなる主体性のなさが主体とはいえ。
青空文庫で堀辰雄の風立ちぬを読みました。なにげない会話と、淡々とだが過剰なほどに繰り返される、病室の情景、森の季節の移ろいの描写が、こう、腹の底に澱のように溜まってくる。圧倒されて真似るどころじゃない(そこか)。
中学の時に授業(かテスト)でやったのだけど通読ははじめて。中学生の自分が読みきれなかった、また退屈に感じたのは単に経験不足だったのだ。小説、またその他のメディアを通してもたらされるものにはエンタテイメント性がなければいけないと思っている。というか、登場人物(や作者そのもの)に共感するとか違和感を感じるという部分こそがコンテンツの意義なのではなかろうか。
峠から向こうの山の端に沈む夕日を美しいと感じたり、枯葉降り積る森の小道を散策する物寂しさは、長い人生の中でどこかで体験するものだ。逆に最愛の恋人が不治の病で衰え、消えていくというシチュエーションは、なかなか経験できない(したくないものだ)。そういった感情移入しやすい部分で世界に取り込まれ、非日常な部分をもすんなりと疑似体験できるということ、これが小説やテキストを読む醍醐味だといえる。人は(自分は)テキストを通して過去の自分を見ていることに他ならない、という楽しみ方は屈折しているでしょうか。
今夜は雨で、暑さもひとやすみ。窓を開けて、クーラーと照明を落としてディスプレイの灯りで晩酌。しっぽりと濡れたい夜もある。
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