ゲームの目的とは何であるか。TVゲームやUFOキャッチャーのように相手がマシンあるいは自分という変り種もあるけれど、主に戦略というキーで考察すると、チェスや将棋・麻雀から野球・サッカーなどなど、対戦相手がいて勝利を目指すものと言える。ゲーム理論で例に出される囚人のジレンマでの囚人達の最終的な目的は利己を得た上での世界の安定(この場合は2人の囚人が世界のすべて)である。つまり、あるタームを終えたときに利を得ることを目的としてゲームは行われる。
ゲーム理論は軍事(大概のゲームは戦争をモデル化したものだ)にとどまらず政治や経済にも適用できる・・・らしいのだが、僕、むつかしいことはわからないから卑近な例で考えてみるね。
現実の人生にはゲームでいうところのターム(期限)というものは無い。逆に無数のタームの連続という気もするけど、どちらも同じことだろう。強いて言えば”死”こそがゲームエンドで、その時に最終的に利を得ていたか(勝ったか)どうかが解る。いきなり暗い結論で驚いた。
人が(僕が)映画や小説や歌謡曲に触れ、その登場人物達に憧れたり羨む心理が働くのはタームが切られているからなのだ。冒険映画で主人公がピンチを切り抜けつつ巨悪を倒して財宝を手に入れるだの、恋愛小説で好き合ってるのに擦れ違いばかりで、途中でライバルなんか現れちゃって、誤解が誤解を呼び雨の夜の街を走り抜けたり(略)困難を乗り越えて二人は結ばれハッピーエンドみたいな、なんつーの?エンドロールで切り取られた人生最高の瞬間を目の前に提示され、その後のアドレナリンの処理や無限に続くかという平凡な時間をどう過ごすのかとかはバッサリと割愛される。そこが羨ましいんですよ(ま、フィクションだから)。いうなれば”勝利”確定のところで終れるから、全力も出せるってこと。
現実の人生ってそうじゃない。その時々に常に最善の努力・選択をしていたらすぐに疲れてしまう。明日のことを考えて余力を残してしまう、じゃないですか。忘れっぽいのは素敵な事です、そうじゃないですか。
東京タワーの人々が雰囲気を盛り上げて行動すれば、次のステップ(深い仲とか[R18])に行けたかもしれません。失敗してもカラオケの師弟関係が解除されるだけです。その時点では利がある(かどうかもわからない)よりも現状維持の安定を求めるゲームもあるのでしょう。
日記も文章である以上、書かれない・あえて書かない部分が存在する。ある意味映画的。フレームの外やオンタイムで現れないそこここに大概のジレンマはある。この文にも、必要であるはずのひとつの条件があえて書かれていない。
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